プロフィール
ツイートこんにちは、藤崎遊です。
このページでは、
藤崎が生まれてから現在に至るまで、
どんな環境で育ち、どんな考え方をしてきたのか、
かいつまんで紹介します。
生い立ち
京都で生まれる。
ごくごく一般的な家庭に生まれた藤崎。
周りの人から「可愛い、可愛い」と言わたことを
真に受けながら育つ。
保育園では活発でやんちゃな子どもで、
皆のリーダー格。
小学校でモテ期のピークを迎える。
公立の小学校に入って周りの児童が急激に増えると、
おとなしくなり、目立たないように注意するようになる。
やんちゃな同級生が何人かいて、関わらないようにしていた。
勉強はいたって真面目にするが、普通のレベル。
小学校の低学年から、
「自分は少しモテるのかも」と思い始める。
小学校6年生でモテ期のピークを迎える。
(バレンタインチョコをもらった数:6個
親族からのチョコを含めず。)
中学校で野球を始め、勉強もスポーツも並レベル。
公立の中学校に入り、親が好きだという理由で野球を始める。
(当時自分が好きだったのはバスケットボール。
中学生ながらに親孝行してないと思い、
親が好きな野球を始めた。)
勉強はそこそこ。
友達もそこそこ。
野球もそこそこ。
女の子からの人気、まぁまぁ。
と言った感じの、どこにでもいる中学生。
中学3年生くらいから尾崎豊にハマり、
夜中にバイクで走ったりする。
(校舎の窓ガラスを割る勇気はなし。)
真面目に勉強に取り組むので、
高校進学もなんの問題もなく合格。
(他の中学校の
人気No.1の女の子に猛烈アピールされるも、
どう接したら良いかわからず、うやむやにする)
高校で挫折し野球を辞め、必死に大学受験する。
高校に入ると野球部のレベルが一気に上がり、
全然ついていけなくなる。
1年間は必至で頑張るも、
頑張っても得られるものがないことに気付き退部する。
(野球部に入るため坊主頭にしたところ、
さっぱりモテなくなる。)
仲の良い友達は音楽好きが多く、カラオケにハマる。
単純なので、プロのボーカリストになろうかと悩むも、
その度胸はなく、大学受験を必死に頑張る。
しかし、特に大学でやりたいことがないので、
受かりそうな大学を適当に選ぶ。
(大学受験にはお金がかかることを知り、
受験した高校は2校のみ。)
野球部にいた間は全くと言って勉強しなかったため、
高校2年生の冬あたりから真剣に勉強を始める。
私立の4流大学に通う。
坊主じゃないので最初は少しだけモテるも、
付き合いがめんどくさくなり、孤独を求める。
気の合う友達ができず、サークルにも入らなかったため、
大学生活を全然満喫できず。
しかし20歳頃、芸能プロダクションにスカウトされ、
興味本位でレッスンに通い始める。
カッコいいメンズと可愛い女の子に囲まれ、
大学とは別の場所で大学生活を楽しむ。
大学を卒業できるかどうかもわからず、
週に2回くらいしか大学に行ってないのに、
大学のパンフレットへの掲載を依頼をされる。
一度は断ったが、他にパッとする人がいないという理由で
再度依頼が来たので受ける。
芸能界で生きていくと言って実家を出る。
京都の生活に飽き飽きしていたため、
芸能プロダクションの友達と東京に出ることを決意。
と言っても、芸能界で生きていくつもりは毛頭なく、
実家を離れて自由な生活をしたいというのが本音。
その後、イベントの警備や飲食店などで
転々とバイト暮らしをする。
結婚・出産を機に真面目に就職活動する。
20代後半になり、
結婚・出産を機にラクして生きていくことを諦めて、
大学生の時にしないと決めた就職活動を開始。
今までニートとフリーターを繰り返した経歴の
スキルがない20代男性。
何度も求人広告を見て応募をしては不採用の繰り返し。
それも面接にすら行けず書類選考で落選。
(今考えれば当然ですが。)
なので、自分には資格が必要なのだと思い、
独学で簿記の勉強を始め、何とか合格する。
簿記の資格を取ったからと言って簡単に採用されることもなく、
その後、就職難民の時期が延々と続く。
就職すると同時に独立するための勉強を始める。〜現在に至る。
約3年の就職活動が実り、正社員として採用される。
採用されるとしばらくは安心感に包まれるが、
今後30年もの間、
1日最低8時間・週5日以上勤務が確定したことを実感。
会社に縛られない働き方がないか探し始める。
その後アフィリエイトに出会い、正社員として働きながら
アフィリエイトで独立を目指し、現在に至る。
これが藤崎の経歴です。
全体的に見ると、
良く見ても「中の下」ってところですね。
ストレートに言うと「ダメ人間」です。
人間は変われるもんですね。